王俊宇瀟作品評論
“瀟酒風流が君之韻”王俊宇瀟の水墨画を読む(『王俊宇瀟現代水墨作品集・3』序文一)
画家 卓民(2011年6月)
私が知る宇瀟は、中日両国文化の粋を併せ持つ文化人である。西洋では、造形芸術家にとって構図や色彩、或は製作技法と素材の応用などはその人が持つべき資質である。しかし東洋では事情が異なる、東洋の藝術はその深い文化精神の中において、感性的な視覚芸術が表すのは人間そのもので有り,その人が生命に対する姿勢で有り,作家自身の人格の具現でもある。故、東洋文化に限っていえば、文化人のみが藝術家としての資格保証である。文化人としての教養や素質こそが宇瀟の水墨画作品から満ち溢れる味わいの根源である。
一流大学の文学学部に進学した宇瀟は伝統文化の薫陶と洗礼を受け、水墨が宣紙の上において、滲みや染め、そして細密な描写や大胆な揮毫といった様々な表現手法を自由自在に操れる。これは偏に彼が幼少期の努力と恩師の指導によるもの、と同時に、彼が中国文化をどん欲に求め吸収し、文学的教養によるものでもある。
しかし、宇瀟は満足せず、同時代に溢れる所謂“新山水、新人物,新花鳥”には陶酔せず、彼が言う “現代の視野から古典を見る”様に、新しい藝術の道と自我を求める為、やがて彼の視線が世界に向けられ、1987年、彼がアジア近代化の先駆けである日本にやって来た、そこで彼の新しい挑戦が始まる。
1993年北京の中国美術館での“第三回王俊画展”は彼が伝統水墨画の束縛を打破する実験と位置づけするならば、1995年に蓮をモチーフにしたシリーズは、彼が芸術様式に対する理性的な思考がより多く含まれている。時代遅れの古い形式に対する批判から新しい水墨画様式の樹立に向けた試みである。
蓮シリーズを通じて多種多様な表現手法を繋ぎ合わせる試みが、宇瀟が渡日後伝統水墨画の制作ポロセスから打破する努力によるものであり、理性的な思弁によるものでもある。初期の中国水墨画は、紙や絹麻など巻物と壁画が共存する時期があるとは言え、主流美術の壁画に於いても、水墨が重要な媒体である。寺院や回廊或は洞窟等、水墨画の名作が数多い文献記録で確認出来る、岩彩壁画と互いに輝いていた。当然ながら、壁画の制作特徴も水墨画の表現に影響を及ぼした。北宋画家范寛の大作を見ると、細かな位置按排や広い面積の暈しと皴擦等、後世の文人画と一線を画した、造型や構成を重んじる視覚的制作型水墨画である。宇瀟の蓮シリーズも同じ様に、制作過程と図形位置の計算、意味ある形式的な切り抜き、水墨技法の応用等々、初期水墨画の厳格な制作過程を重視する、また造型を洗練させ、規則正しい順序に追って進むといった特徴と合致する一方、宇瀟の性格の中にある冷静や理性の部分とも一致する。藝術創作活動はただの遊びではない、文人の暇つぶしや思いつきで出来るものでもない。創作は思弁の結晶で有り,技法と手法を操る結果である。蓮シリーズは宇瀟を制作型水墨画の原点に回帰させ、造形美術の意味に於いて初期水墨画の独特な制作手法に接近させた。
しかしものが必ず両極が有り、宇宙万物はそうである様に、人間の本性もそうである。奔放と野性的な痛快淋漓、或は自由自在な洒脱、或は情感世界の激しい波動等々,東洋藝術は藝術家に広い舞台を提供している。片方は思考の極致と理性的な計算;もう片方は情緒の漫遊と感性の発散、二つ合わせて陰陽統一し、これこそが宇宙で有り自然で有り人間でもある。
蓮シリーズと正反対に2001年に制作された『日記.Jun.2001.境地』は、大胆極める雄渾さを表現されている。前景にある大筆による濃厚な白黒の筆触と遥か遠い天空の端に溢れる潤い空気が、瞬間的な宇宙創造の夢空間と天地陰陽の対話を作り出した。宇瀟は理性の積み重ねの中で深く思索しつつ、その思索が一旦熟すと一気に吐き出し、まさしく気迫爽快。大写意は基本的に情緒の発散で有り、始まると収拾がつかなくなるほどの随意揮写で有り,故形等が予測不能で臨機応変にするしか無い。
『日記.Jun.2001.故郷の夢』は紙の白と淡墨の暈しによって現れた虚無と、白の絵の具で作り出された“物質的白”の両者が画面上で奇遇する。水墨画は紙の白を残すことだけで白を表現する習慣と観念に反し、水墨画素材表現の新しい可能性を広げた。画面の中で“白”が豊かなトンを生み出し、白の様々な効果を引き起した。
厳密細心な作業と大胆奔放な写意、東洋水墨の両極に自由に駆け巡り、宇瀟の心は充実であろう。巧みな思索から無限なアイディアが生まれ、『日記.Sep.1998』は宇瀟が激しい感情の揮写と理性的な細部描写を集合させた試みである。一見して現代書道の様な点と線と面、型に嵌らず瀟酒自在。溌墨のぶつかり合いで出来た滲みは、自然界の様々なイメージを作り出す。或は驚きや響き、或は日差しの折射,或は池の水しぶき。この様な意象無窮な“書”の中から動き出す様に二羽の小鳥が現れ、大胆な抽象筆墨表現と細密な写実按排、不思議の中に奇遇と縁を宿る。
『日記.2009.Jun.蓮の夢』、『日記.2009.Jun.微笑』もこのシリーズの延長である。細密な線描で蓮の軽やかな姿を描き出し、それをいきなり何とも言えない空間の中に置かれ、強引に置き換えられた不思議な光景が観る者を楽しませてくれる。
両極に跨がって、機縁に任せ情感を託し、この様に極限に挑戦する気迫は、藝術家王俊宇瀟がこれまでの画風に止まらず、勇気ある冒険的洒落である。そして水墨画作品の中で直に金銀箔を取り入れ、彼独特な抽象世界を組み立てる試みは、異質な素材までを同居させた彼の並ならぬ風流である。『日記.Sep.2000.春音』
箔は本来最も装飾的な趣を持つ素材である、平面にして冷たい。激しく情感溢れる筆墨表現とは天と地ほどの違いが有る。藝術家は箔を画面構成の一元素として墨跡と同居させ、“面”(墨と箔)、“線”(墨)、“点”(印)の関係を成立させた。この様な試みは装幀まで広げた、『日記.2006.Oct.-1』。
一枚一枚舞い降りる金銀の箔は画面の内外で遊び回り、画面中の墨面と墨線と墨点と互いに会話し、臙脂色に囲まれた画面は空中で舞う箔のお蔭で、遠くから観る者に近づき、そして鑑賞者の眼中心中へと入って来る。凹の字の様な掛け軸の設計にしても箔を貼る位置の按排にしても、画面と表装の境界に新たな意味を与えた。これは宇瀟の作品構成或は展示プロセスに関する極めて創意を富む構想である。
『日記.Mar.2000.姿?』とこのシリーズの作品は作者が水墨画構成に対するもう一つ全く新しい解釈と開拓である。人体の塊や構造が分解され白黒の図式構成の中に隠され、一見現代派的な構成関係の背後には東洋藝術の深い奥義が含まれている。宇瀟のこの“白を以て黒に当たる”構成シリーズは、いくらか西洋現代派の影響も混じっていると考えられるだろうが、しかし、もっと大きな源は、彼が数十年間絶えずに文字の配列や朱白の按排をテーマとする篆刻に対する努力のお蔭であろう、彼は篆刻の藝術空間を拡大にして見せた。
筆を落すその瞬間に墨跡の塊がその形や大きさが決められ、僅かな躊躇いやモタツキも許せず、と同時に白い処が体の形が現れ、天と地が一瞬にして互いに生成し互いに輝く。“図柄とパックの同時構築”の空間関係:図柄がパックで有り,パックが図柄である。あれは遠い仰韶文化時期に黄河中上流の先祖達の図式であり、後の篆書や青銅器の銘文、又は漢時代の画像煉瓦、或は南北朝や隋唐の初期仏教壁画等に至るまで、パックと図柄が同時に現れるという空間藝術の表現手法は、我々東洋人が最も得意な空間構築であった、しかし残念ながら、宋元以降の文人画の流れの中で消え去ってしまった。
水墨画の歴史に詳しい方ならご周知の様に、文人水墨画は正統な地位に祭り上げられた以降、古典的な伝統水墨画の全てを取って代わって水墨画の代名詞にまでなってしまった。文人水墨画は古臭い決まり事を持つ上、その決まり事を基盤とする価値判断の基準まで設けている。一見“国粋”に見えるが、実際のところ自らの進歩や外来藝術の侵入を固く拒んで来た。新しい水墨画の開拓は西洋の現代的造型要素と藝術理論を取り入れることも一つの道筋ではあるが、特に1980〜90年代あたりに起きた伝統に対する批判と反省は前向きな意義があり、しかし、これらも到底地域文化の伝承と延長にはならない、現代水墨藝術の樹立に於いては、東洋全体の文化習慣から離れてしまう危険がある。そう言う意味で、伝統を整理する姿勢で、千年の水墨画と五千年の東洋文化を改めて見直すことは大変重要である。宇瀟の白黒による“図柄とバックが同時構築”シリーズは、無意識のところで遠い昔東洋の図式構築に触れた。この様な試みの貴重なところは、東洋の古代藝術様式は新しい時代の血液を注入されることによって甦られ、彼の制作実験は、水墨画壇に新たな視覚的享受と制作体験をもたらすであろう。
新作『日記.2011.Apr.神話』シリーズは一種の回帰に見える、つまり余白を残すことで無限な空間への回帰。図形は再度伝統筆勢意象の中で画面の広がりを作り出す、墨面の微妙な工夫と細線淡墨の派生、画面全体の呼吸とリズムを引き起こし。“老缶(近代上海に居た呉昌碩)が気を描くが形を描かず”、上海出身の宇瀟は子供時代の記憶が甦った様に、“海派”に戻って、そして21世紀の“気韻生動”の創作状態に戻った。
一人の藝術家はその限りある人生の過程に於いて、どのぐらいのエネルギを生み出されるか、どれだけ広い領域を越えられるかは、作者の生れつきの資質とその後の吸収努力によって変わる。資質は神様のお蔭だが後天の吸収はその人の努力と苦行のお蔭。宇瀟の水墨藝術に関する探索活動を考察し、彼の各時期の藝術実験を通じて見せた多彩な作風を解読することによって、これら全ては彼が持つ深い文化的教養と独自の思考による結果だとわかる。彼は千年もの歴史に及ぶ水墨画の二つ主な流れをしっかりとつかみ取っている、すなわち規則正しい細密描写と計算尽くしの制作型の流れと、奔放無羈で情感や墨縁に任せる表現写意の流れ。それぞれの技法と特徴を進めながらも互いに補完し、彼の自由自在、止まり知らずに変化する制作スタイルが形成した。彼は東洋藝術の懐の博さに惚れ込み、特定な画風や流派に拘らず、一旅人の様に藝術の海で縁に任せて目紛しく駆け巡り、そして彼が行った全ての処で思い切って才能を発揮し佳作を残し、正しく瀟洒風流と言えよう。
韻”は元々魏晋時代に人物評価によく用いられる美学概念で有り、人物評価の“韻”というのは、その人から現れる精神状態や風貌、そして気質や内面まで含む、総体的なイメージを指す。後に五代の荊浩が『筆法記』で提起した“六要”は“韻”を二番目とし、“韻というものは、跡に隠れ形が立つ、その風貌が高雅である”と定義する、つまり作品の形跡の中に宿っている作者の精神を言う。
君の画作は、その韻が人格の気質を漂わせる;君の画風は、拘り無く幅広くにして風流瀟酒である。これは“瀟酒風流が君の韻”と言われる故である。
王俊宇瀟の作品を読む(『王俊宇瀟現代水墨作品集・3』序文二)
美術史論家・画家・文学博士 陳 達明(2011年7月)
在日中国水墨画家の中、私は王俊宇瀟と彼の作品に深い印象を持っている。それは宇瀟の作品に鮮明な個性が有るからのである。王俊宇瀟本人に関しては、私は彼が画家というよりも寧ろ「文質彬彬」な知識人といったほうが似合うだと思っている。
宇瀟の作品は非具象で表現されたため、一見、伝統的な中国水墨画の系統と遠く離れように見えるが、しかし、よく吟味すれば作品の奥に東洋水墨画の幽婉なる幻の気韻と勢いが感じられる。無論勢いある雄大な作品も、また優雅な静謐である作品も、すべての作品に古代中国の奥深い水墨文化の痕跡が窺える。当然その中に、宇瀟自分が水墨に対する独特な審美的な趣及び時代の精神も含まれている。いわば現代文人画家と称すべきであろう。
絵画史で見れば、多く優秀な画家はだいたい文人から出た。中国水墨画は文人が参入してから、その独特なスタイルを作り上げたと思われる。彼らは絵画の「形似」という絵画要素から逸し、「意」と「韻」の表現を重視することにした。宋の蘇東坡は「画を論ずるに形似を以てするは、隣の児童の見解だ」というように、「求めるのは天工と清新のみ」のである。私は、宇瀟の作品にはこのような「清新」さがあると思う。特に彼の作品に凛凛とした勢いと幽雅な静かさと上手く調和された表現は最も印象でしたが、更に感心されたのは作品に現れた「静」の深さである。それは水墨で浄化された「静」であり、心から浄化された「静」でもある。
「静」と「寂」は歴代の中国水墨芸術家たちがこれを求め続いた。この静寂は芸術家と自然の対話から得たもので、より自然の深さを知りたいと思われる。これは宇宙へ求めの静寂でありと同時に芸術家自分自身心の奥に求めた静寂でもある。仏教では「寂為本体」という考え方がある。中国絵画の「静寂」は仏教の影響を受けたと考えられる。唐代末の画家荊浩は終日山と対話して、そして「中得心源」を得てついに悟った。宇瀟本人仏教に皈依されたかどうかは知りませんが、しかし、彼の作品から現れた深い「静寂」が我々は確かに感じられる。
水墨作品に「静寂」を表現するには、高度な絵画技術を要求される。宇瀟の水墨表現は非具象的であるため、これこそ高度な技術が必要であろう。彼が描かれた一つの墨点、一本の墨線を見るとこの技術の高さは一目瞭然であろう。宇瀟はこの技法で墨の濃淡を変化させ、ついに自分の新しい芸術の境地を切り開いた。その一滴、一滴かすかでむらむらと変化していく墨色は、宇瀟の水墨芸術の「墨韻」であり、「魅力」である。まさにこれは彼自ら求めているように「そういう意味で「墨韻」は単なる芸術様式の魅力を超越して、美学的な深い魔力に昇華された」のである。(《王俊宇瀟絵画日記/墨韻の魔力》より)
「墨韻」は元々中国絵画史で悠久なテーマの一つとされている。もし中国の元代以降の画家たちが「逸筆草々にして、形似を求めず(逸筆草々、不求形似)」(注)の「墨韻」を追求すると言えるなら、宇瀟の水墨画の「墨韻」には更に「形に語る難い状態(形難為状)」(注)を表現されたと言えるだろう。彼の作品に我々見たものは日常的な物形ではない。ただ「似る」、「似ない」というイメージを感じるが、この朦朧たる表現は却って鑑賞者にさまざまに変化して壮観を極める景色を見ることができる。
このような「墨韻」を完璧に表現するため、宇瀟は日本、中国の現代、古代の技術と表現法を自分の作品に吸収して、あらゆる手も尽くして画面に最大限に描き出す、それで、勢いと静謐な画境を遺憾なく表現されたと思う。
宇瀟から作品に対する意見を求められたが、実際宇瀟は自分こそ芸術に対する高い見識の持ち主である。私は、ただ一読者の立場で感想を述べるのみ。しかし、学識の浅い私は彼の作品に感心しても言葉が意を盡さない。私は読者の皆さんは必ず王俊宇瀟の作品から更なる多く美的な意を得ることと信じている。
2011年7月 墨田書屋にて